ぼくのずるやすみ 26

ほんとはずるやすみじゃないよ!

たすけてヘントーマン

「メガネのつるが折れたんです。」

それは突然の出来事でした。僕はその日もいつもと同じようにシャワーを浴びていたんですが、顔を洗うためにメガネを手に取って、つるを胸に押し当てるような形でメガネを折りたたもうとしたんです。

ぽき。

メガネのつるが折れる音でした。大学生の頃からトレーニングを続けているばっかりにこんな仕打ちを受けるなんて。この時ばかりは、思わず左の大胸筋に強い言葉を使ってしまいました。気が付くと、すっかり縮こまって申し訳なさそうにしていたので、僕はあわててフォローして、そのあとは一緒にジムに行きました。帰ってきて確認するとさっきまでの姿がウソみたいに大きく自信ありげだったので、大丈夫だと思うのですが、彼はまだ気にしているのでしょうか。こんな僕はもしかして、いわゆる DV 男なのでしょうか。ちょっぴり不安です。

悪魔との契約

僕のマッスルくんがそんな不安を抱えていることはつゆ知らず、「しめしめ」と僕は思っていました。友だちを誘って出かける口実ができたと思ったからです。
「メガネのつるが折れちゃったから、一緒に買いに行かない?」これをいうために、友だちとのライングループのトーク画面を開きました。そして、考えました。

「いきなり誘うのも、なんか違うかな」

なお、そのライングループには女の人いなかったほか、照れて恥ずかしくなってしまったことを自白する用意が僕にはあります。そうです。僕はとんだシャイボーイ野郎だったのです。もちろん、僕は右の上腕三頭筋に目をやりました。こんな時、頼りになるのはこいつしかいません。でも、何も言いません。肝臓みたいな形のボクの上腕三頭筋は、沈黙の臓器ならぬ、沈黙のマッスルを目指していることを、その時の僕は忘れていたのです。

ですが、「大切なことはみんな、マッスルが教えてくれる」という格言があるように、その時もマッスルは一筋の光、いや、無数の筋繊維のような答えを与えてくれました。

「呼びました?」

次の瞬間、僕はライングループに、そうメッセージを打ち込んでおくっていました。
その刹那、トーク画面上のいくつかの「?」のなかにひそむ「呼んでないけど」という文字列を僕は見逃しませんでした。何かの見間違いだというひともいるでしょう。でも、この胸のズキズキがなによりの証拠でした。

「呼びました?」

ダメ押しのもう一発。「?」の嵐のなか、もうだめかと思った瞬間、救いは訪れました。

「どういうこと?」

それは、掘り下げコメントでした。

天使と悪魔

「あ、減量の悪魔と契約した、ゲンリョーマンなんだけど、呼ばなかった?」

さすがは自分の体の重さに敏感な女という集団、減量の悪魔という言葉にはなかなか食いつきがよく、ボディビルダーとラインをしているのかと錯覚する程でした。もしも僕が減量末期のボディビルダーだったなら、きっと騙されていたことでしょう。糖分不足って怖いですね。
しかし、これが落とし穴でした。僕の「ゲンリョーマン発言」は、いわゆる完全な「出オチ」であり、スタートでありゴールだったのです。これはもう、ゴール直後のマラソンランナーに、よーいどん!、と言っているようなものです。

「ゲンリョーマンは何ができるの?」

「えっと、、、その、相手をやせさせます」

「どうやって契約するの?」

「え、、それは、、、脂肪とか渡して、、、」

「でも、減量の悪魔なのに痩せさせてくれるって変じゃない?
減量への恐怖で生まれた悪魔なら太らせるとかじゃないの?」

「それは、、、どっちもできる、、というか、、、」

ぽき。

心が折れる音でした。
掘り下げの天使だと思ったその子は、追い込みの悪魔だったのです。
そして、日夜ジムでマッスルを追い込む僕には、追い込まれるという経験が圧倒的に足りていませんでした。

「なんかすみません」

そこから先、僕は何も言えませんでした。

メンドーマン

メガネを買いに行こうという話などできるはずもなく、もはや僕はただメガネが折れただけの男です。いや、下心のせいで、メガネといっしょに心まで折ることになってしまった男でした。

それに、こんなどうしようもないラインをしたからには、きっと裏ではメンドーマンとか言われてるに違いありません。

僕はいったいどうすればよかったのか。みんなの問いに、何と返答すればよかったのか。誰か教えて。

「たすけてヘントーマン」